センサリー・アウェアネス - ソマティックサイコセラピーの心髄


センサリー・アェアネス  ソマティックサイコセラピー心髄

これは2008年7月フィラデルフィアで行われた第5回アメリカボディサイコセラピーの全国学会での発表を抄録集に載せるために書いたものです。 この全国学会のタイトルは「ものの心随に近づく」でした。そこで、わたしはセンサリー・アウェアネスが、ソマティックサイコセラピー(体からアプローチす る心理療法)の心随にとても近いことについて話しました。

ジュディス.O.ウイーバー(Ph.D)
翻訳・註 澤口裕二

要約

この論文は、センサリー・アウェアネスというソマティック・ワークの歴史と発展について書いています。このワークがヨーロッパでつくられ、サイコセラピー(心理療法)とともにアメリカで発展した経過を解説しています。また、英語で書かれた記録についても書いてあります*1
著者がどのようにしてセンサリー・アウェアネスとサイコセラピーを統合したかを解説し、症例を呈示し、子ども、グループワークショップ、そしてこの全国学会でのセッションについて書きました。

*1 ギンドラーはドイツ人でしたから、ドイツ語でワークをしていました。ですから、アメリカ人向けの英語の文献・記録はすくないのです。

センサリー・アウェアネスはサイコセラピーの実践と組み合わされて「ソマティック・アウェアネス(体についての気づき)」とも呼ばれます。内容 は、自然なプロセスに戻るように人々を誘い、自らの体験と反応に気づけるようにするという「単純な」ことです。
センサリー・アウェアネスは、「ボディサイ コロジー(身体心理学)」と呼ばれるものに影響を与えました。そして「ボディサイコロジー」と思っていない多くのサイコセラピーにも同じく影響を与えまし た。良いセラピーであればどんなものでも、「トーク・セラピー(言葉による治療)」と思われているものでも、必ず「自分に気づく」という要素、センサ リー・アウェアネス、つまり「体についての気づき」という要素を持っています。これらの気づきが、クライアントがより自分自身と密な関係に入るのに役立ち ます*2

*2 身体心理学では、体の気づきをなくした人は、身体と心が分離してしまい、苦しむと考えています。ですから、体に気づくと身体と心が一体という本来の姿となり、精神が自分自身と密な関係になり楽になります。

 

歴史
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後にセンサリー・アウェアネスと呼ばれるようになったこのワークは、エルザ・ギンドラー(1885~1961)によってドイツで作られ広められました。
もともとギンドラーは、ハーモニック・ジムナスティク(調和体操)の教師でした。美しい動きとエクササイズを教えていました。
しかし、ギンドラーは、「み んなに同じ決まった動きをさせるのはつまらない、生徒の一人ひとりが自分の普段の生活の中での行動から、いろいろなことを体験して学習できるようにしてあ げたい」と思うようになりました。そして、生徒一人ひとりが自分のやり方を見つけ、それを伸ばすように支援しはじめました。

ギンドラー自身も自分の体験から学び、大きく変わりました。大きな病気を患い、自分の呼吸や動きについて深い気づきを必要としたからです*3。 自分の健康を回復するすべを見つけようとして、ギンドラーは、毎日、一日中、一年間、すべての動作について自分自身に起こることに注意を向けてみました。

*3 肺結核になり、医者から死を宣告されました。当時は山の上のサナトリウムで静養し、肺を休めるしか治療法はなかったのですが、ギンドラーは貧しいため、そのお金がありませんでした。

そして、1913年までに、ギンドラーはリラックスすることで健康になる方法を見つけました。大切なのは、呼吸に注意を払うことでした。呼吸しようとか、呼吸を変えようとかせずに、単純に呼吸に注意を向け、そこから学ぶことが基本でした*4

*4 結核にかかった方の肺を動かさないように するというワークを始めて1年後にギンドラーはかつての主治医に偶然会いました。主治医はびっくりして、「どうして生きているのか」と問いました。死んで いるはずだったからです。医者はギンドラーに診察させてくれるように頼み、診察しました。結局、ギンドラーの肺結核は完治していることが判明しました。

ギンドラーのワークはだんだんと発展し、人々が自分の体に起こっていることについて気づく機会を提供できるようになりました。ギンドラーは「テク ニック」を教えませんでした。そして、従来使っていた「エクササイズ」という言葉を使うことをやめて「実験」という言葉を使うようになりました。ギンド ラーは、日常生活の自然な動作や活動を実験材料にしました。ギンドラーが焦点を当てたのは、「探求する」こと、つまり「自分のやっていることを感じる」こ とでした。

ギンドラーは、自分の提供している単純でありながら深いプロセスに名前をつけませんでしたが、「人間とのワーク」、または「人間全体についてのワーク」という名前をつけようかとギンドラーは思っていたという人もいます。

1925年に、ギンドラーはハインリッヒ・ヤコビーに会いました。ヤコビーは実験的音楽家であり、教育者でした。お互いに相手のことを理解した 後、一緒にワークを発展させることにしました。ですから、このワークは、ヨーロッパではときどき、「ヤコビー・ギンドラー・ワーク」と呼ばれることもあり ます。ヤコビーは、アメリカでは有名になりませんでした。ヤコビーは精神分析に大きな関心がありました。ヤコビーと知り合ったことにより、ギンドラーは精 神分析にも興味を持つようになりました。ギンドラーは、必要なときにはときどき、自分の生徒にサイコセラピーを紹介しました。

ギンドラーは、ベルリンで一生を送りました。ギンドラー自身は、自分の提供しているものを宣伝することはありませんでしたが、長年にわたりギンドラーのワークは広がり、多くの分野、特に芸術とサイコセラピーに大きな影響を与えました。

多くの人が、エルザ・ギンドラーがソマティック・サイコセラピーの祖母だと考えています。

 

ヨーロッパでのサイコセラピーに対する影響

多くのフロイトの弟子が、ギンドラーのもとで学びました。クレア・ナータンゾーンは、1915年にギンドラーの元で学び始めました。クレアがフロ イトの弟子のオットー・フェニヘルと結婚すると、オットーもギンドラーのもとで学び始めました。 「わたしが夫をエルザのところに行かせました。すると、夫は非常に興味を持ったのです。その後、オットーの精神分析のグループにギンドラーのワークについ て話をしてくれと、オットーはわたしに頼んできました。そして、全員でギンドラーのワークについて議論したのでした。」と1981年にクレアは語っていま す。

サイコセラピーに対するギンドラーの関心について、クレアは次のように書いています(1981)。「当時は、精神分析が流行で、ギンドラーの生徒 の中にも精神分析に関わっている人がいました。夫もその一人でしたし、そのほかにもいました。しかし、ギンドラーは、そのとき起こっていることを観察する ことに興味があり、そこから学んでいきました。そうして、動きに関して心理的活動が重要と思われたときにだけ、自分の話せることだけしか話さないようにな りました。そうして、ギンドラーはどんどん人間について知るようになりました。重要なことは、ギンドラーは、体のことだけでなく、人間全体に興味を持つよ うになったことです。『縄跳びしたくないなら、縄を跳び越えられなくても驚くことはない』とギンドラーは言いました。ギンドラーは、『体』以外のなにか が、体を動かしていること、そして、その『なにか』が、この『体』の機能に影響していることに気づいたのです。」

ウィルヘルム・ライヒ*5はギンドラーから直接に学んだことはありませんが、ギンドラーのアプローチにいくつかの点で影響 されているようです。ライヒがウィーンを出てベルリンへ引っ越したあと、ライヒの最初の妻であったアニーは、クレア・フェニヘルとともに研究しています。 ライヒの娘のエヴァは、親しい友人、自分の家族、そしてクレアと一緒に何度も日曜のピクニックに行ったことを覚えています。そこで、ライヒは「さあ、何を したのかを教えてくれ」とギンドラーのワークについてクレアを質問攻めにしたといいます。(ライヒ:1984)。

*5 フロイトの弟子。「性格分析」の創始者。 ヨーロッパの精神科学界で有名になりました。その後、ナチスとの関係や、リビドーが物質化すると考えたために、精神科学界から抹殺されました。アメリカに 渡り、最後はFBIにつかまり、刑務所で死亡しました。この逮捕は不当であったと訴える人々がいます。ライヒは、精神のエネルギーであるリビドーが物質の ように、体の一部に溜まることで、神経症が発症すると考えました。そして、リビドーの固まっているところに触れ、その固まりを解消すれば、神経症も解消す ると考えました。これが、いわゆるボディワークのもとであり、ソマティック・サイコロジーのもとです。

ライヒの愛人であり、長い期間一緒に過ごしたエルサ・リンデンベルクは、第二次世界大戦の前にも、そして、その後にもギンドラーのもとで学びました。リンデンベルクは、ライヒとともにノルウェーに住んでいたときに、クレアからも学びました。

娘のエヴァから聞いたギンドラーのワークについての知識が、ライヒに大きな影響を与え、その後、ライヒが精神分析のクライアントとともにワークをして呼吸と体に気づくことになったのだろうと、エヴァは思っています。(ライヒ: 2001)。

エヴァ・ライヒは、「ギンドラー・スクール」に送り込まれたことを覚えています。エヴァはそのスクールがとても好きでした。ギンドラー・スクールでは、いろいろなものの下や、まわりや、その上を這わなければならなかったからです。(ライヒ: 2001)。

グスターフ・ハイアは、C.G.ユングの弟子であり同僚でした。グスターフの妻のルーシー・ハイアは、ギンドラーのもとで学びました。ハイア夫妻 は、ミュンヘンで精神分析とともに身体的手段を使う心理療法のグループに属していました。アメリカのローゼン・メソッド(ボディサイコセラピーではありま せん)の創始者マリオン・ローゼンはドイツを去るまでの2年間、ルーシー・ハイアのもとで学びました。「この2年間で、わたしは体にについてとても詳しく なり、体がとてもうまくできあがっていることに本当に感心しました。グスターフ・ハイア氏が精神科の治療とともに行ってきたワークの中で見てきたことがよ く分かるようになりました。体についての知識と精神についての知識が、両方相まって効果を示す様子を見るようになりました。ハイア夫妻はマッサージと呼吸 を使い、クライアントをオープンにし、クライアントが自分の問題に楽に触れられるようにしました。夫妻は、このような治療方法が短期間で効果的だとわかっ ていたのです。」(ローゼン:2003)

 

アメリカのサイコセラピーに対する影響

さまざまな分野・職種の人がギンドラーのもとで学びました。その中にはアメリカに渡った人もいます。そのなかの1人がシャーロット・セルバーで した。セルバーは、1938年にニューヨーク市に住むことにしてワークを教えはじめました。そして、最終的に、自分のワークに「センサリー・アウェアネ ス」と名付けました。

セルバーの初期のもっとも熱心な生徒が、有名な精神分析医であるエーリッヒ・フロムです。1955年に、New School for Social Researchで、フロムとセルバーは、「自分自身に触れていること」という題で合同講義をしています。(ロシュ: 2000)

William Alanson White Association of Psychiatryをエーリッヒ・フロムとハーリー・スタック・サリヴァンとともにつくったクララ・トンプソンも、セルバーの生徒でした。また、クララ の同僚の多くも学んでいました。精神科医のトンプソンは、女優としてとても成功したベティ・ウィンクラー・キーンにセルバーのクラスに参加することを勧め ました。キーンは結局、ユング派の分析医エドワード・ホイットモントとともに働くことになりました。エドワードが言語レベルでアプローチし、キーンが非言 語的なレベルでアプローチしました。このホイットモントもセルバーの最初の生徒でした。その後、センサリー・アウェアネスを教え始めるのでした。キーンは ニューヨーク市で活動し、夢を扱うユング流の精神分析と、感じることのワークを紡ぎ合わせました。

20世紀のサイコセラピーに多大な影響を与えた革命的サイコセラピストであるフリッツ・パールズは、ギンドラーのワークに深く影響を受けていまし た。1930年代の初頭、パールズはウィルヘルム・ライヒの患者でした。そして、パールズの妻ローラはギンドラーの生徒でした。ゲシュタルト心理療法の開 発者のフリッツとローラは、ニューヨークでセルバーから学びました。フリッツは、非常に広範囲に、そして個人的に、長い時間、セルバーから学びました。 1947年に、 William Alanson White Instituteで「計画的サイコセラピー」というテーマでパールズが講義しました。そこで、パールズは以下のように話しました。「人間の個性の研究を よりよいものにするために最低限必要なものとして3つのものをおすすめしたいと思います。ひとつはゲシュタルト心理学、ついで意味論、そして最後におろそ かにできないものとして、ギンドラー・スクールのアプローチです。」(グレゴリー: 2001)。

20世紀の間に、 体・心・精神に関わる多くの治療法が発展しました。それらの方法の多くにセンサリー・アウェアネスが深く影響しています。西洋に禅を広めたアラン・ワッツ は、シャーロット・セルバーから学びました。そして、カリフォルニアで人間の潜在能力の研究のために新しく設立されたEsalen Institute(エサレン・インスティテュート:以下、エサレンと書きます)にセルバーを紹介しました。1963年に、セルバーはエサレンで最初の体 験型ワークショップを行いました。そして、思いもしていなかったことには、セルバーはエサレンで教えることを許され、アメリカの精神分析界のいろいろな学 派に触れることができ、それらに大きな影響を与えることとなりました。

だんだんと、多くの人がギンドラーとセルバーのワークに影響され、自分たちのサイコセラピーに取り込みました。シーモア・カーターは、エサレン で、セルバーとブルックスからセンサリー・アウェアネスを学び、フリッツ・パールズからゲシュタルト療法を学びました。カーターは、エサレンとヨーロッパ で教え続けています。Integrated Body Psychotherapy (IBP) の国際トレーナーであり、USA Body Psychotherapy(USABP)の活発なメンバーでもあるマージョリー・ランドも、自分のワークがセンサリー・アウェアネスの影響を受けている ことを認めています。(ランド: 2001)

ショックやトラウマの影響を解消するためにワークのなかでとても繊細な身体的トラッキングを利用するソマティック・エクスペリエンシングを開発した ピー ター・レビーンは、1965年にシャーロット・セルバーが行ったワークショップが自分のワークに大きな影響を与えたと話しています。(レビーン: 2004)。

著者自身も1968年にシャーロット・セルバーとチャールズ・ブルックスのもとで、集中的に学び始めました。そして、このワークを教えることをセ ルバーに認められました。1960年代後半に、バイオエナージティクス、ライヒアンセラピー、その他の身体指向サイコセラピーも教えはじめました。必然的 に、そして、ほとんど 意識することもなく、センサリー・アウェアネスを自分自身のソマティックサイコセラピーに統合していきました。これを、Somatic Reclaiming「からだへの回帰」と呼ぶようになりました。

 

文献

この分野で書かれたものはわずかしかありません。ギンドラーが書いたものは一つだけです。Deutschen Gymnastik-Bund という雑誌に書かれた”Die Gymnastik des Berufsmenschen”「労働者のための体操」です(ギンドラー: 1926)。

シャーロット・セルバーは、ほとんど書きませんでした。大部分の記録は、セルバーがほぼ65年以上教えたクラスの録音テープから聞き取り文書化さ れたものです。シャーロットは非常に耳が遠かったので、この65年以上の間、生徒はマイクに向かって話し、シャーロットがイヤホンで聞いていました。この ため、簡単にテープに録音できました。

1979年にベティ・キーンによって小さな本とテープが出版されました。それ以外では、チャールズV.W.ブルックスの本があります。チャールズ は1950年代にシャーロットの生徒になりました。シャーロットと結婚し、ともに教え始めました。そのチャールズがセンサリー・アウェアネスについての、 最初の英語の本を書きました。ブルックスの本は、「センサリー・アウェアネス 体験の再発見」*6と名付けられました。(1974.ニューヨーク バイキング出版)

*6 邦訳 「センサリー・アウェアネス」誠信書房 絶版

ドイツ語、オランダ語、スペイン語、日本語と中国語に翻訳されましたが、長い間、絶版でした。最近、長い間、センサリー・アウェアネスの生徒で あったリチャード・ロウとステファン・レング・ジリアットによって再編集・拡張され発売されました。”Reclaiming Vitality and Presence – Sensory Awareness As A Practice For Life”「活力と存在の回復-生きる実践としてのセンサリー・アウェアネス 」と名付けられました。(2007. Berkeley, North Atlantic Books.)

同じくシャーロットの生徒であった、ウィリアムC.リトルウッドは メアリー・アリス・ロシュとともに、シャーロットのクラスのテープの抜粋を集め編集して、”Waking Up, The Work of Charlotte Selver”「目覚め シャロットセルバーのワーク」として出版しました。 (2004. Bloomington, AuthorHouse.)

センサリー・アウェアネスに関する多くの資料は、Sensory Awareness Foundation(SAF www.sensoryawareness.org)の貴重な会報の中にあります。その中では、ギンドラーの生徒が自らの 体験を披露しています。このワークがいろいろな分野に取り入れられていったことを知ることができます。これらの報告ではサイコセラピーについては語られま せん。その理由は、センサリー・アウェアネスはサイコセラピーではないからです。たとえシャーロットが一部の有名なサイコセラピストと親密であったにして も、シャーロットは、自分のやっているワークがサイコセラピーでないとはっきり言っていました。シャーロットは、感覚についてのワークをやりさえすれば、 他のものは一切いらないと非常に強く感じていました。

USA Body Psychotherapy Journalの2004年第3巻ナンバー1は、その前年に102才で亡くなったシャーロット・セルバーをたたえる記念号でした。わたしは、ゲスト共同編 集者として協会の名誉編集者であるジャクリーン・カールトンとともに働くという大きな名誉をいただきました。サイコセラピストをしている多くの知り合いが 集まること、この学会誌に貢献できること、またさまざまなサイコセラピーにセンサリー・アウェアネスがどのように使われているかを知ることが、大きな楽し みでした。

わたしのワークの基礎はセンサリー・アウェアネスですから、センサリー・アウェアネスなしで、ワークすることはできません。センサリー・アウェアネスはわたしのワークの心髄であるといえるでしょう。

わたしの元に来るクライアントはたいてい他のサイコセラピーや治療をたくさん受けています。最近は、多くのクライアントが、インターネット上で 「ライヒアンセラピスト」を探して、わたしの所に来ます。しばらくすると、次のように言うクライアントがいます。「今まで受けたワークとなんにも変わらな いと思うのですが、同じことをしていてもあなたのやり方が違い、今はそれがとてもうまくいっているようです。」その違いは、感覚の面にあります。わたしは 常にクライアントが次のことを気づくようにします。自分自身、自分の持っている資源、自分が本当に受け取っているもの・こと、自分自身の感覚、自分がどの ように反応しているか、そして自分自身の本当の衝動です。

 

ライヒアンセラピーの教育に、センサリー・アウェアネスを組み入れたこと

1965年から3年間アジアに滞在しました。3年間の半分は伝統的ダンスを教わり、残りの半分は仏教寺院に住み込み禅の修行をしました。 1968年に自分の進む道は、体・心・精神を統合するワークだとわかりました。そのワークの中に、わたしがそれまで探し求めていたもの、つまり、西洋のモ ダンダンサーとして歩んだ前半生だけでなく、アジアでの生活から学んだすべてのことをも統合するものがあると感じたのです。そのときから、シャーロット・ セルバーとチャールズ・ブルックスのもとで、わたしは学び始めました。シャーロットとチャールズのワークは、寺に住んでいるときの体験ととてもよく似てい ました。注意をはらうこと。自分のしていることに意識的になること。今にいること。心を奪われないようにすること。私はぞくぞくして、興味をそそられまし た。わたしはできるだけ多くのクラスをとりました。1968年からの数年間は、シャーロットとチャールズから学ぶために、カリフォルニアのエサレン、メキ シコ、ニューヨーク、そしてメイン州のメンヘーガン島までついて行きました。私は禅の師に「アメリカ版の禅を見つけました」と話したことを覚えています。 わたしは自分が生きている間おこなっているすべてのことのなかで、「今、ここにいる」という、単純な実践を味わうことができました。

わたしは「ライヒアンセラピスト」としてトレーニングを受け、認定された後、1970年代に、クライアントとともに自分自身のワークを展開させて きました。自分でほとんど 気がつかないまま、センサリー・アウェアネスから学んだことを自分のワークに統合してきました。大切でかけがえのない人生を送るのに役立つ大切なことだっ たからです。ある日、わたし自身がもはや自分のやっていることを「ライヒアンセラピー」と呼んでいないことに気づきました。正確に表現しようとして、 「ライヒアンセラピーに基づくアウェアネスセラピー」という名前にしました。たとえ名前が面倒くさくなっても、わたしの行っていることを記すなかで、ウィ ルヘルム・ライヒとそのワークに敬意を表したいと思っています。わたしをはじめとして、すべての人が、ライヒから大変な恩恵を受けているのに、ライヒは軽 視され、それどころかたいていは無視されているからです。そして、わたしの行っている治療的なワークのなかでアウェアネスが核心となってきたからです。

わたしのクライアントが快方に向かう速さは、かなり速くなり、深くまで改善し、そして比較的お金もかからずよくなるようになりました。そして、わたし自身、自分のワークのやり方がとても倫理的で、満足だと感じるようになりました。

そうして数年たった1984年に、わたしが深く学んだウィルヘルム・ライヒの娘のエヴァ・ライヒに会いました。話しているうちに、エヴァがわたし の仕事を尋ねました。「あー、ああ、これは困ったことになった」とわたしは思いました。ライヒが自分の名前をセラピーにつけるのを好まなかったことを知っ ていましたし、わたしはライヒのセラピーにセンサリー・アウェアネスという別のワークを統合していたからです。もちろん、わたしはよい方向に進めたと思っ ていますが、基本的にライヒのセラピーを変えたのです。私は深呼吸をしてから、自分はライヒアンセラピーを学び、認定されたこと、そして、その基礎の上に 別のワークを統合したことをエヴァに話しました。その別のワークというのはセンサリー・アウェアネスであること、シャーロット・セルバーがわたしの先生で あること、シャーロットのヨーロッパでの先生がエルザ・ギンドラーであることを話しました。わたしは息を止め、歯を噛み締めて、ライヒのセラピーを教える ために、8回も世界一周しているこの精力的な女性からどんなことを言われるかと待ちました。そして、エヴァが叫んだときに驚きました。「まぁ、なんて素晴 らしいのでしょう!父が生きていたら、とても喜んだでしょう!」 そうして、わたしたちはとても仲良しになりました。わたしはエヴァから学び、エヴァの ワークを教え広めることを認められました。もし、ライヒが多くのギンドラーの生徒を通して影響を受けていなかったら、ライヒが体、特に呼吸に対するワーク を始めることはなかっただろうと、エヴァは何度もわたしに話してくれました。(ライヒ: 2001, 2003)

カリフォルニア州サンフランシスコのCalifornia Institute of Integral Studies(CIIS:カリフォルニア統合学研究所)で教えていた25年間は、センサリー・アウェアネスと ウィルヘルム・ライヒの心理学の両方を教えるコースを確立することができました。センサリー・アウェアネスに基盤を置き、さらに専門的なコースで感覚的身 体的に探究し臨床へ応用する、つまりソマティック・サイコセラピーに必要と思われるトレーニングを開始できたということは、わたしにとってすばらしい基盤 となりました。CIISでうまくいったことで、わたしはSanta Barbara Graduate Institute(SBGI:サンタバーバラ大学院大学)の共同設立者となったときに、ソマティック・サイコセラピーの博士養成課程をつくる勇気をえま した。わたしにとって、その養成課程を作ることは内部から外部への教育という有機体へのトレーニングでした*7。その大学での養 成 課程の初年度に、学生はセンサリー・アウェアネスのコースに参加し、他の人とのインタラクションを通したり、個人的に自分の体験したものを見つめることに より、自分の内側で起こることを探求しました。さまざまに何度も探求しました。2年目には、「プロセスと治療的ツールとしてのセンサリー・アウェアネス」 のコースになり、3年目には、「臨床実践-指導のセンサリー・アウェアネス」に発展しました。

*7 有機体というのは、単なる機械ではなく複雑に内部で相互作用しているシステムのことです。一般には、単純に理解できない生命を持っているものを意味します。

CIISとSBGIで、そしてしばらくの間、JFK大学で学生を教えました。そこではソマティック・サイコロジー・プログラムの基礎としてセンサ リー・アウェアネスでの実習を組み込んでいました。そのなかで、センサリー・アウェアネスを提供し、学生たちに自分自身や感覚を探ることに焦点を当てるた めに時間をかけることを許すようにしてもらいました。そうすることで、その体験を基軸にして、学生は臨床に進むことができます。こうすることで、転移と逆 転移の境界をはっきりさせて、自分自身をしっかりと地につけておくスキル、本当の自分自身を知るスキルを身につけるようになります。センサリー・アウェア ネスのワークにより、自分たちの体験をはっきりとシェアすること、自分のクライアントや生徒とともにワークしたときに、その体験をきちんと表現することを 学びます。

1972年に、エサレンを訪問した日本の心理学者の最初のグループにセンサリー・アウェアネスを提供しました。 そのグループのリーダー*8は センサリー・アウェアネスに深く感銘を受け、日本に帰ると自分の心理カウンセリング教育を変え、センサリー・アウェアネスを合わせて「ニューカウンセリン グ」をつくりました。そして、「人間中心の教育を現実化する会(人現会)」がつくられました。1988年に、シャーロットは人現会の15周年記念祝賀会で の講師として招待されました。しかし、シャーロットは、シャーロットの代わりにわたしが行くように頼んできました。それ以来、わたしは日本とそのほかの国 でセンサリー・アウェアネスのワークショップを提供し続けています。(ウィーバー: 1997~98)

*8 前横浜国立大学教育学部教授 故伊東 博氏。

その後、アメリカ以外の国で教え、他の文化のセラピストとワークする栄誉を受けています。いつも体験することは、トラウマや文化がどんなに違お うとも、センサリー・アウェアネスを通して、コミュニケーションするための共通点が得られるということです。センサリー・アウェアネスのなかに、わたした ち、みんなに共通する言葉があります。(ウィーバー: 1997~98)

わたしは、サンフランシスコで「政治的拷問の犠牲者のためのクリニック」を営むソマティック・セラピストたちのグループに数年間属していました。 わたしたちみんなが、このような犠牲者が回復するための支援の最もよい方法は、身体的なワークをすることだと感じました。わたしの経験からすると、それら の犠牲者とシェアする最良のツールはセンサリー・アウェアネスでした。

戦争で戦い拷問された人たちともワークしました。その結果わかったことは、治癒にとって重要なことは、その犠牲者自身が今体験していることに感覚 を通して気づき、過去と現在の違いに気づくことでした。そのプロセスを支援することで、その人が過去のトラウマから解放されることを手助けすることが大切 でした。

わたしの個人的なクライアント(先のクリニックのクライアントではありません)でナチスの大虐殺を生き延びた女性とともにワークしたことがありま す。その女性は戦争中、人々から隠れて生きてきました。その人の声を見つけ聞くことをワークにすることで、その人は適切な自己表現ができるようになりまし た。また、自分の中心を見つけ、地に足をつけるセンサリー・アウェアネスのワークによって、その女性はリラックスし、自分自身を傷つけることをやめ、最後 には自分が本当に安心してよいのだということに気づくようになりました。ここでは、呼吸が非常に重要でした。自分が呼吸することを許すこと、自分で呼吸を コントロールしなくてもよいこと、呼吸が自分に語りかけていて、そのときに応じていろいろと変わること、そして呼吸が自分をサポートしてくれることを知る という「呼吸を発見するプロセス」は、その人にとって大きな支援であり、人生の変化でした。

 

子どもたちとのワーク

過去15年にわたるわたしのワークの最新の発展は、出生前後の心理学とセラピー、つまり現在しばしばプライマリー心理学と呼ばれる分野にありま す。人生初期のトラウマに対して、早期に働きかけられるなんて、とてもすばらしいことです。自分自身と子どもを見つめ、また両親にもそうすることを助ける センサリー・アウェアネスの能力を持つことは、計り知れない価値のあるものです。人は基本的に言語に頼らずに子どもに関わっていますから、このようなセン サリー・アウェアネスの能力を身につけることはとても大切なことです。

 

症例

サリーは、他の「ライヒアンセラピスト」に見てもらった後で、わたしの所に来ました。そのライヒアンセラピストは、サリーがとても大きなトラブ ルを抱えていて、もっと治療が必要だといったのです。サリーは、言葉をかけられるとおびえ、いらいらしていました。サリー自身は、そのことに気づかず、自 分が何をすべきかもわかっていませんでした。最初にあった時に、サリーに今までどんなことがあったかを尋ねました。そして、聞いている途中で、サリーに今 自分が何を感じているかを問いました。サリーにとって、話を中断されることはいらいらすることだったかもしれません。しかし、最初ののセッションの終りま でには、サリーは自分の苦しんでいたことがなんだったのか、自分に起こったことに対してどんな反応をしていたのかについて考えることができるようになりま した。自分の感覚との関係をいくらか取り戻すことができたので、サリーはワークをどのように進めるか、どのように二人でワークするかについての方向付けが できたように感じました。サリーが自分の問題について話し続けるよりも、話を止めてそのときサリーが何を感じているかを問うたほうが、サリーが自分自身に 触れ、他の誰でもないサリー自身が自分に責任を持っているということ、誰もサリーを自分自身から取り上げることはできないこと、いつでも自分自身に触れる ことができ、必要なワークを始められることを理解するのに役立ちました。

身体的なワークのやり方を知らないけれど、このクライアントには自分のやり方だけでは足りないと自覚しているサイコセラピストから、クライアント を依頼されることが時々あります。たいていのセラピストは、センサリー・アウェアネスによりクライアントの感覚を調整することの効果と、クライアントの体 に起こっている変化に驚きます。このこと以外にもセンサリー・アウェアネスは、サイコセラピーの時間のかかるプロセスを代行することも、短縮することもで きます。

ジョージは、慢性の咳がありましたが、医学的には問題を見つけられませんでした。長年サイコセラピストにかかっていましたが、ある日、わたしのと ころを紹介されてきました。ジョージとワークを始めて約6週間経ったときに、ジョージは前のセラピストと話しました。そのとき、セラピストはジョージの咳 が止まり、ジョージの体も性格も柔らかくなっているとびっくりしたように言いました。ちょっと感じるだけで、ジョージはいろいろなやり方で自分を見つけて いたのです。

トーマスは、力強い、知的で精力的で活動的なプロです。時間があれば、水泳をしサーフィンをし、妻と愛情を交わします。トーマスはある種のアレル ギーに患わされています。そのため生活が変わり、緊張が強くなりカウンセリングを受けることにしました。トーマスはわたしがどんなワークをしているかも知 らずに、紹介されてきました。一緒にワークしながら、自分の感覚に注意を向けるように話したところ、トーマスは自分が充分に呼吸していないことに気づき、 びっくりしました。自分自身で呼吸を抑えたり、息を止めたりしていることに気づき、驚きました。そして、ワークを続けるともっとよくわかるようになり、 トーマスのアレルギーは現在、非常によくなりました。そして、自分が何をしているかを感じ理解すればするほど、もっと満足できて役に立つやり方で自分の生 活に反応できるようなりました。

 

ワークショップ

サイコセラピーのクライアントには、こんなに深いながらも繊細に接することができるばかりでなく、サイコセラピーを望まない人々にもこのワーク を提供できるので、わたしはとても幸運だと思います。もうちょっと自分自身に触れてみたいけれど長期の治療的関係に患わされたくないと思う人にとってワー クショップは、簡単で手軽な手段です。

センサリー・アウェアネスのワークショップや教室を行なうときは、いつもよりもっとシャーロット・セルバーやエルザ・ギンドラーのやっていたこ とに近いやり方をします。最初に自分自身を探究してもらいます。どのように呼吸しているか、床の上で重さをどのように感じているか、立っているときにどん な筋肉が使われているか、バランスをどのように感じているか、自分が重力に対してどのように反応しているかなどです。今、現在の自分の存在=有り様を探究 します。自分自身を探究した後、同じ部屋にいる人々とどのようにしているかを探究することもあります。最終的に、ワークはインタラクションに進むかもしれ ません。歩くこと、見ていること、感じていることなどです。今、このときに、自分が居るのにちょうど良い場所からどのくらい離れているのか?パートナーと いっしょにワークするかもしれません。たいていは触れることです。他の人と関係しているときに、自分をどのように感じるでしょうか?自分自身を感じていな いときに、他の人をどのようにして感じられるでしょうか?動き、音、話し声、歩くこと、走ること、何でもできるでしょう。部屋の中でワークし、必要なら野 外で自然の中でワークすることもできます。いつでもできます。何でもできます。いつでも何にでも注意を払うチャンスがあり、そうすることで、気づくように なります。言葉をしゃべることなく、沈黙のままワークすることもよくあります。さらにまた、目を開けたまま探究したり、目を閉じたままで探究したりしま す。音、空間、重さ、温度、手触り、タッチ、そこにあるすべてを体験し探究します。

 

ワークショップを受けた人の報告

「床に寝て他の人の頭を持ち、優しく動かしました。信用するという体験でした!今まで他の人に頭を預けるなんてことはしたことがなかったので す。そのときの緊張は言葉にできません。本当にどのくらい緊張したか覚えていないほどです。鮮やかに思い出すのは、体を起こした時に、空気がとても濃厚 だったことです!とてもはっきりしていました。そのとき以降は感じることのない、一瞬の体験でしたが、いつでも思い出すことができます。まるで、水の中に 潜ると水の存在を感じるように、空気を感じたのです。いつもは、なんにもないのに、空気に濃さがあることを意識したのです。その夜、目を閉じて自分の呼吸 を感じられるところに手を置くようにジュディスは言いました。わたしは困惑しました。呼吸?手は教科書に書いてあるような胸の上のほうに行ったと思いま す。でも、呼吸について質問されたので、なんとなく自分の持っている知識と自分自身についての自信がなくなったと感じました。そうでなくても、自分が肺の 中に呼吸を感じていたかどうかもわかりません。今は何をしたかわかります。呼吸について考えることもせず、そんなことを感じることもしなかったので、混乱 していたのです。いまなら、呼吸はそこにあり、呼吸について考えることをしなくてもちゃんと呼吸できていることがわかります。」

この生徒が後でくれた手紙には以下のように書かれていました。

「生活のすべてがセンサリー・アウェアネスの体験だといつも思います。」

時々、このワークは、子どもの遊びのような感じがします。することの多くは単純で、洗練されていなくて、探検のようで、そしてしばしば行き当たり ばったりです。センサリー・アウェアネスのセッションと子どもの遊びとの違いのひとつは、セッションでは、間に休みを入れ、各自の体験を評価することなし に単純にシェアすることです。もちろん、子どもたちも自然に同じことをしています。この単純ですが簡単ではない、体験との関係づけということが、感覚によ る深くて非言語的な体験を、左脳による言語化と関係づけて、言語と体験を統合するという重要な仕事を果たします。いつでもどんなレベルでもセンサリー・ア ウェアネスのなかで、一人の人間であることと、決して分けることのできない体と心を関係づけるチャンスが提供されます。そして、世界と関係することにつな がります。

 

今回の全国学会でのセッションについて
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カンファレンスはいつもめんどうで、落ち着かないものです。センサリー・アウェアネスのワークはとても微妙で、いつ、どこで、誰と行なうかによって非常 に違いますから、1時間かそこらで正しいイメージを与えることは不可能です。でも、その一方で、センサリー・アウェアネスがここで紹介されなければならな いほどに大切なことだとも感じています。「ソマティックサイコロジーの心髄と基盤」というこの全国学会では、ほかの学会より多くの時間をもらっています。 大変うれしく思います。そして、わたしのセッションに参加してくださるすべてのかたと、ワークできることを楽しみにしています。もちろん、そのときに何を するかはわかりません。何をするかは、そのときそこに集まる人により、その人たちが感じることにより、その人たちが話すことにより決まるからです。ワーク では深く学べるとともに、ワークは自然にできあがるものです。参加者と同じように、わたし自身が驚くこともしばしばです。

セッションでお会いしましょう!

 

引用

Fenichel, C. N. (1981). From the Early Years of the Gindler Work. In: Sensory Awareness Foundation Bulletin: Elsa Gindler, 1885-1961, Vol. 10(II). (pp. 4-9). Muir Beach, CA.

Gindler, E. (1926). Die Gymnastik des Berufsmenschen (Gymnastik for Working People). In: The journal of the Deutschen Gymnastik-Bund (German Gymnastik Federation).

Gregory, S. (2001). Elsa Gindler: Lost Gestalt Ancestor. In: British Gestalt Journal. Vol. 10(2). (pp. 14-117).

Levine, P. (2004). USA Body Psychotherapy Journal, Vol. 3 (1), (pp.58-59). Bethesda, MD.

Rand, M. (2001). Personal communication with author.

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Roche, M.A. (2000). Sensory Awareness: Conscious Relationship. In: Somatics, XII (4), (pp. 4-54).

Novato, CA: Somatics Society.Rosen, M. with Brenner, S. (2003). Rosen Method Bodywork. Berkeley, CA. North Atlantic Books.

Weaver, J.O. (1997/8) Touching Our Human Essence – Leading Sensory Awareness Classes in Different Cultures. In: Somatics, XI (3), (pp. 36-39). Novato, CA: Somatics Society.

 

ジュディスO.ウィーバー(ライヒアン心理学博士)

1968年からシャーロット・セルバーのもとで学び、センサリー・アウェアネスを指導する許しを得る。バイオダイナミック・クラニオセイクラル・ セラピーおよび出生前後セラピーののソマティック・エクスペリエンシング・プラクティショナーの認定を受ける。また、ローゼン・メソッドのプラクティショ ナーであり、シニア・ティーチャーでもある。1971年からは太極拳の教師としても認可されている。ジュディスはカリフォルニア統合学研究所で25年間、 教授であった。サンタバーバラ大学院大学の共同創設者であり、身体心理学講座をつくった。カリフォルニア州ミル・バレーとワシントン州シアトルで個人開業 し、定期的に世界中で教えている。

 

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